2013年1月27日日曜日
2013年1月23日水曜日
PARTY.PARTY.PARTY
昨日はH君主催の新年会&家族でドイツへ旅立つYOYOの送別会!!
子供も大人も食べて飲んでのパーティーでした。
H君、有難うございます YOYO、寂しくなるけどもドイツへ行っても頑張ってや〜 ドイツでお金稼いでバリ島に帰って来た時はビールおごってな〜 笑
子供も大人も食べて飲んでのパーティーでした。
H君、有難うございます YOYO、寂しくなるけどもドイツへ行っても頑張ってや〜 ドイツでお金稼いでバリ島に帰って来た時はビールおごってな〜 笑
2013年1月21日月曜日
2013年1月16日水曜日
2013年1月6日日曜日
炸裂
今日はビッグスウェル到来!!
風の合うポイントでは大きなチューブが口を開けてます。
抜けれれば天国、セットの波を喰らうと地獄... 今日は怪我人多数...
このスウェル数日間続きそうなのです。皆さん怪我にはくれぐれも気をつけて人生最高の波に乗っちゃって下さいね〜
風の合うポイントでは大きなチューブが口を開けてます。
抜けれれば天国、セットの波を喰らうと地獄... 今日は怪我人多数...
このスウェル数日間続きそうなのです。皆さん怪我にはくれぐれも気をつけて人生最高の波に乗っちゃって下さいね〜
2013年1月2日水曜日
ハルモニ
酔っぱらいながらの長文になると思うので暇な人だけ読んで下さい。
2013年一月元日 午後一時四十二分 日本の病院にて僕のハルモニ(おばあちゃん)が亡くなりました。十二月の中頃に日本から連絡が有り、ハルモニが倒れて今病院に運ばれたと連絡が有ったので、早速エアーチケットをネットで探し日本へ帰る準備をしていると、又日本から連絡が有り《今は意識も戻って元気になって来た》と聞いて一安心してたのですが... 今朝、オモニから泣きながら電話が有り《もう駄目かも...》と... そして今日、ハルモニは天国へ旅立ちました。 僕のハルモニは1930年代、ハラボジ(じいちゃん)と二人で韓国から日本へ船に乗って渡って来た在日韓国人一世です。まだ、その当時は韓国から来た若い夫婦で日本語も話せない韓国人が日本で生活するのは相当の苦労が有ったのでしょう。韓国から日本へ渡って来た二人は小さな食堂を営みながら、同じ境遇の在日韓国人相手に商売をしてました。 小さな店で自家製のマッコリ(韓国どぶろく)を作りながら、食べるのも精一杯の暮らしの中でも子供達を立派に育て、小さな食堂から焼肉屋に変わり必死に働き続けて、今や一世代で総勢100人近くのファミリーを築いたハルモニ。僕が幼い頃は毎日ハルモニの焼肉屋で御飯を食べながら、オモニ(母ちゃん)の仕事が終わるのを待ってたな〜
そんなハルモニの昔からの口癖は《お前は人を馬鹿にしたり、自分から人を殴ったりしては絶対に駄目、でも誰かに馬鹿にされたり殴られたら100倍やり返せ...》この言葉の通りで、僕のハルモニは相当強い人でした。どんなに人種差別を受けようが絶対に負けない人。でも、自分の側で困ってる人が居れば韓国人でも日本人でも何人でも関係無く助ける人... 自分達の家族が食べる物が無くてもね...
こんなハルモニが僕の誇りです、ハルモニの孫に産まれて僕は本当に幸せです。
そんなハルモニが営んでた焼肉屋の店名を僕が引継ぎ、バリ島にて《炭火焼肉 天壇》をオープンしました。
僕もハルモニと同様に、一人で異国の地に辿り着き、商売を始め家族も出来ました。 この先の人生、色々な困難も有ると思うけど《貴女の子孫》として、恥ずかしくない人生を歩んでいきたいと思います。そして、この歴史を僕の子孫にも伝えていきます。ハルモニ、今まで本当に有難うございました 寂しいけど天国ではハラボジと喧嘩しながら仲良くして下さいね。
親愛なるハルモニ、安らかに眠ってくださいね(でも、天国でも暴れてるやろな〜 笑)
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2013年一月元日 午後一時四十二分 日本の病院にて僕のハルモニ(おばあちゃん)が亡くなりました。十二月の中頃に日本から連絡が有り、ハルモニが倒れて今病院に運ばれたと連絡が有ったので、早速エアーチケットをネットで探し日本へ帰る準備をしていると、又日本から連絡が有り《今は意識も戻って元気になって来た》と聞いて一安心してたのですが... 今朝、オモニから泣きながら電話が有り《もう駄目かも...》と... そして今日、ハルモニは天国へ旅立ちました。 僕のハルモニは1930年代、ハラボジ(じいちゃん)と二人で韓国から日本へ船に乗って渡って来た在日韓国人一世です。まだ、その当時は韓国から来た若い夫婦で日本語も話せない韓国人が日本で生活するのは相当の苦労が有ったのでしょう。韓国から日本へ渡って来た二人は小さな食堂を営みながら、同じ境遇の在日韓国人相手に商売をしてました。 小さな店で自家製のマッコリ(韓国どぶろく)を作りながら、食べるのも精一杯の暮らしの中でも子供達を立派に育て、小さな食堂から焼肉屋に変わり必死に働き続けて、今や一世代で総勢100人近くのファミリーを築いたハルモニ。僕が幼い頃は毎日ハルモニの焼肉屋で御飯を食べながら、オモニ(母ちゃん)の仕事が終わるのを待ってたな〜
そんなハルモニの昔からの口癖は《お前は人を馬鹿にしたり、自分から人を殴ったりしては絶対に駄目、でも誰かに馬鹿にされたり殴られたら100倍やり返せ...》この言葉の通りで、僕のハルモニは相当強い人でした。どんなに人種差別を受けようが絶対に負けない人。でも、自分の側で困ってる人が居れば韓国人でも日本人でも何人でも関係無く助ける人... 自分達の家族が食べる物が無くてもね...
こんなハルモニが僕の誇りです、ハルモニの孫に産まれて僕は本当に幸せです。
そんなハルモニが営んでた焼肉屋の店名を僕が引継ぎ、バリ島にて《炭火焼肉 天壇》をオープンしました。
僕もハルモニと同様に、一人で異国の地に辿り着き、商売を始め家族も出来ました。 この先の人生、色々な困難も有ると思うけど《貴女の子孫》として、恥ずかしくない人生を歩んでいきたいと思います。そして、この歴史を僕の子孫にも伝えていきます。ハルモニ、今まで本当に有難うございました 寂しいけど天国ではハラボジと喧嘩しながら仲良くして下さいね。
親愛なるハルモニ、安らかに眠ってくださいね(でも、天国でも暴れてるやろな〜 笑)
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